12月中旬から、凛でも人工呼吸器を使用されている患者さまを受け入れることとなり、試行錯誤の毎日が続いています。
私が初めて訪問看護師として勤務したステーションでは、人工呼吸器を使用されている方が多くいらっしゃいました。その中に、かつて教育やメディアの世界で活躍されていた高名な方がおられました。
テレビで目にしていた親しみやすい印象とは異なり、実際にお会いすると、静かで凛とした雰囲気をまとい、言葉一つひとつに知性を感じる方でした。おしゃべりな私でも、必要なこと以外は自然と控えてしまうような、不思議な存在感がありました。
その方は、人工呼吸器を装着したまま外に出たときの体験を、ご自身の著作の中で綴られていました。
人工呼吸器を車椅子の後ろに掛け、チューブを工夫して固定し、街へ出たときに感じた人や車の往来。その日常の雑踏が、これまでとはまったく違う世界として胸に迫り、震えるような感動を覚えた――そんな趣旨のことが書かれていたと記憶しています。
在宅で生きることの意味を、深く考えさせられた出来事でした。
もう一人、強く心に残っている方がいます。
私と同世代の女性で、発病前は語学を生かして活躍され、多くの友人に囲まれていたと聞いています。私が関わった頃には、文字盤や視線入力などの意思伝達装置を使い、ご自身の意思を懸命に伝えておられました。
ケアの場面では、少しの遅れや気づきの不足にも厳しい言葉を向けられることがありました。「この方のケアができて、初めて一人前の看護師なのかもしれない」――そんな思いを抱きながら、関わっていました。
ある年の2月中旬、午後の訪問中に、突然「息が苦しい」と訴えがありました。人工呼吸器の設定は長年変わっておらず、私は必死に数値を確認しながら、呼吸に合わせて胸郭を支え続けました。医師へ連絡を取りましたが、到着までに時間がかかるとの返答でした。
結果的に、医師が到着し設定を調整することで、呼吸状態は落ち着きました。
その日は、私自身の誕生日でした。
後日、その方が「あの日のこと」をずっと気にかけていたと、共通の知人から聞きました。胸を支えながら、誕生日であることを口にしてしまった自分の未熟さを、今でも思い出します。
バレンタインデーが近づくと、決まってその方のことを思い出します。
看護師として働いていると、たくさんの思い出が心に刻まれていきます。
患者さまやご家族との関わりがあるからこそ、悩みながらも前に進めるのだと、今あらためて感じています。
看護師 Y.N


